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金沢の文化

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建築家の友人と三人で、金沢の建築を見て回った。久し振りに刺激を受けた旅行であった。

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今日の事務所〜荒木毅建築事務所の日々の覚書〜<

二人旅

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26日/曇り時々晴れ。

朝、ひかりに乗り新大阪に向かう。車中、息子との会話は想像していたより少ない。ぽつりぽつりといった具合。
御堂筋線に乗り換え、なんばの「スイスホテル南海大阪」にチェックイン。立派なツインルーム。男二人旅にはもう少し地味な方が良い気がしたが、JTBのパックで選んで初めて泊まるホテルなので文句は言えない。

17階の窓から見下ろすと新歌舞伎座が見えた。荷物を置いてフロントに行き、神戸の地図をもらい明日行く予定の「浄瑠璃寺」へのバスの時間などを聞いてみた。奈良交通のホームページなどで調べていただいき、近鉄奈良からよりも加茂からの方が便が多そうだと分かった。調べるのにまだ少し時間が掛りそうだったので、奈良交通の電話番号を聞いて自分で確かめてみることにした。このあたりのフロントでのやりとりを息子は見ている(そう、旅には現地でのこういう調査も重要なのだよ)。

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14:32 新歌舞伎座(もうすぐ解体されるとの事)

地下街のマックに入り、クォーターパウンダーのセットを二つ注文すると、WBCの選手の写真の印刷された赤いファイルを4枚くれた。ホテルに戻る気はしなかったので、ファイルは息子が持って歩くことにした。3月20日に開通したばかりとフロントの方が教えてくれた「阪神なんば線」に乗って三宮に到着。

三宮センター街を通り、中華街を歩き、北野通りを上って「港みはらし台」まで行ってみた。今日は明日のための足慣らしである。途中、長男と5年前に来た際に食事をした「ニシムラ」があったので、次男にその事を話す。
みはらし台の近くの住宅の横を通った際、大型のシェパードがやってきて甘えた声を出した。私が、顔を撫でたりしたが、シェパード君の関心は次男にあるようだったので、触ってみるように言ったが、「いや、いい。」と言って触れなかった。彼は動物を飼ったことが無いので大型の犬が怖いのだ。もうちょっと好奇心を持ってほしいなと思ったが、そこはそのまま立ち去る事にした。

帰りは、阪急に乗った。20年ほど前に数か月、大阪に住んだ際に使っていた路線だ。阪急塚口で途中下車する。住んでいたアパートに行ってみようかと思い、歩き出す。途中までは自然と足が向かったが、結局、アパートを見つけることは出来なかった。
なんばまで戻り、南海通というアーケードにある「ゆかり」というお好み焼き屋で食事を摂り、ホテルに戻った。


27日/晴れ時々曇り一時雨。

朝、大和路快速で加茂に向かった。駅前より10時16分の小型バスに乗り込み、運転手の巧みな運転で、時々一車線になる二車線の曲がりくねる山道を走り、浄瑠璃寺前で下車。

九体の阿弥陀如来の並ぶお堂の内部は簡素な断面形状を持つ簡潔な作りである。ここに来るのは二十年ぶりだが、以前見たときよりも味わい深く感じられた。息子はほとんど関心がない様子。

さて、今日はここが出発である。旅行に出る前の晩に、Googleの地図を画像にして切り貼りし、浄瑠璃寺-加茂駅-海住山寺の辺りを、十数枚のA4のコピーにして持って来ているのだが、これを頼りに、浄瑠璃寺から歩き始めた。

まずは下りである。国道44号線を歩いたり、遠回りでも細い道がある場合はできるだけそちらを回ったりしながら、民家の間や、小川の横や、田んぼの中の道を歩いた。それにしても、Googleの地図は正確である。辿った細い道は、印刷の通りであった。

歩きながら息子に話しをした。彼について感じていること、この時期に伝えたいと思っていた自分の考えなど、いろいろ。1時間半ほど。

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11:20 畑の中の道を行く。

加茂駅前のパン屋でランチを食べ一休みしてから再び歩き始める。今度は上りである。
寂れた商店街を抜けて木津川を渡るあたりで、ぽつぽつと雨が降り出した。小ぶりなのでそのまま橋を渡り始めたが、渡り終わる頃は大分コートが濡れてきた。この季節としては寒いので皮のコートを着て、中折帽を被ってきたのだが、この格好は雨にも強い。息子も水を弾くフード付きのジャンパーだったので良かった。
雨が強くなってきたので、雨宿りをした。小ぶりになったので歩き出すとまた強くなったりした。道すがら3か所で雨宿り。地図も雨で濡れて印刷が滲んでくる。

先ほどまで、地図の正確さに人知の有能を感じていたのだが、今は自然の気まぐれに人生の忍耐を感じたりしていた。ずーっと歩いている細い道を人生に例えると、予め技術を駆使して立てた計画が有効な順調な時期もあれば、俄かの雨で立ち止まらざるを得ない時もある。いつまで雨宿りしていれば歩き出せるのか、雨宿りしている間は分からない。

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13:19 雨宿り

だがやがて雨が上がったので、歩き始める。ここで僅かだが道を間違えたことに気づいた。最初の予定通りに歩いていたら雨宿りする軒が無かったようだ。

海住山寺に向かう道は少しずつ勾配が急になり、山に入って行く。汗をかきながら1時間ほど歩いて到着。3か月ぶりでここの五重塔を眺め(年末の赤垣会でここに来たときから今回の計画を練り始めていたのだ)、お堂の縁側に腰かけて一休みしてから、山を下りようと歩き始めた。
途中、すれ違ったおばあさんと挨拶。ふと、加茂のこの辺りに老後住むのも楽しそうだと思った。

このまま駅に向かって歩こうと考えていたが、3か月前と先ほど、横を通った小学校の事が気になりはじめた。瀟洒な外観が印象的な木造の校舎の「内部」を見られないものか。だが、学校に向かいながらも気持は逡巡していた。
門扉が閉じられていたのでやはり止めようかと思ったが、取っ手を回すと開いた。中に入り、声を掛けると先生が出て来られた。理由を話すと、相談してくるからしばし待つようにとの事。門扉の外の車の陰に隠れるように佇む二男を呼んだ。彼は最初頑なに嫌だと言ったが、見られるか見られないか分からないが、また興味が無くとも、ともかくもどうしてもここに来いと言うと渋々入ってきた。
間もなく、先生が戻って来られ、内部を拝見させてくださるとの事!
まずは、校庭に出て外観。次に、1階・2階の内部、講堂などを一緒に回って説明して下さった。なんと教頭先生であった。ここは恭仁小学校(くにしょうがっこう)という学校で、昭和11年に作られた校舎との事。息子も一緒に回って話を聞いていた。思い付きだったが、良い経験となった。

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14:52 恭仁小学校・入口付近

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15:03 恭仁小学校・階段室

道々息子に、「尋ねてみなかったら、後になってひょっとして見られたのでは無いかとうじうじする。断られて嫌な思いをしてもそれはそれで納得できる。勿論、見ることができたらそれは良い経験になる。ともかくも、興味の湧いたことは試してみるのが良いのだ」と説明すると、彼もそれなりに納得している様子だった。

天王寺に戻ると夕方の5時少し前。吉村徹氏に電話してみる。心斎橋で待ち合わせ、鴨肉の蕎麦しゃぶに連れて行って下さった。7時ころ氏と別れ、ホテルに戻った。


28日/晴れときどき曇り。

ホテルで朝食を摂り、NHKの「だんだん」の最終回を見てからチェックアウト。なんばの街をすこしうろうろしながら何処に行こうかと迷っていたが、やはり京都方面にも行ってみようかと思い、淀屋橋から京阪に乗って東福寺に向かった。
久しぶりに枯山水などを見たのち、JRにて京都に出て駅ビルでお茶を飲んで一休みし、新大阪より帰路についた。

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11:29 東福寺

帰宅するとめずらしく長男も玄関に出迎えてくれた。私はひとり、荷物を置いて楽譜を持ち合唱の練習に向かった。少し遅刻したが、思いきり歌い酒を飲んで、深夜に帰宅した。


29日/晴れ。

朝、事務所でメールチェック。沢山のメールにはいろいろな種類があり、中には気持の沈む内容のものもあった。返信を終えると時間となったので、目白に出かけた。
今日は、「アミチ」と言う今は無いがとても素敵な合唱団で友人になったOさんが長岡から出張で来ているので、同じく団員だったYさん、Mさん、Oさんと5人でランチ。メッツホテルのフィオレンティーナで12時から3時間もいろいろと話しをした(やはり女性たちは沢山喋る)。

皆と別れたのち、かみさんにメールし、早稲田駅で待ち合わせて、リーガロイヤルホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら、旅行でのエピソードを話した。
三分咲きのソメイヨシノの様子を見ながら神田川に沿って高田馬場まで歩き、地下鉄に乗り帰宅。晩飯を久しぶりに家族四人で食べた。








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赤垣会

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土曜、晴れ。寒し(京)。

岸成行氏と、ひかり365号に乗車。昼に京都駅にて黒崎忍氏・Mさんと待ち合わせ。
南禅寺に向かう。金地院の庭や蹴上げのインクラインの辺りを歩いてから、高台寺の傘亭と時雨亭を見る。
夜、梅田の"菊寿司"にて赤垣会*(宴会)。我々が到着すると、吉村徹氏・松田靖弘氏・T氏はすでに座敷で待ち構えていた。鯛鍋と寄鍋を食す。


日曜日、晴れ。気温は戻った。

岸・黒崎・Aさんと四人で大和路快速に乗り奈良を通過して加茂に向かう。
ここでは、海住山寺(カイジュウセンジ)の五重塔を見る。小高い山の上の端正な建築は裳階により独特のプロポーションとスケール感を持つ。
のんびりと畦道などを歩いて駅に戻り、京都へ。晩飯を食べた後、岸氏と二人、のぞみ150号にて東京に戻る。車中色々話す。
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海住山寺五重塔 12/07/13:33

何人かが吉祥寺に居るとの連絡が入り向かう。井原孝則氏、岡村泰之氏、S姉、Y君、竹中と"羽幌"で一杯。


* 赤垣会;レーモンドOBの数人で、年に一度12月頃に関西で集まっている。古建築を見ながら、あるいは車中や歩きながら、お互いの近況を話し今後の活動を励ましなど、久しぶりにお互いの顔を見る会である。







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群馬など

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曇りときどき小雨。寒い。

昨日一昨日と、E建設の面々とS氏と岡村泰之事務所と我々(荒木毅事務所+及川敦子)にて、群馬の建築を見て回ってきた。
宿泊した伊香保温泉ではとてもリラックスしたひと時を過ごし、車中O専務や岡村氏と建築の話しなどもした。
富岡製糸工場、群馬県立近代美術館、井上房一郎邸、群馬音楽センター、富弘美術館、館林美術館を回りながら、「こと」と「もの」と「建築」について考えていた。


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富岡製糸工場 11/07/11:39
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群馬県立近代美術館 13:17
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井上房一郎邸 15:39
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群馬音楽センター 16:37
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富弘美術館11/08/11:58
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館林美術館 15:26

今朝、かみさんが研修のためロンドンに飛び立った。これから1週間、子供たちと三人での生活となる。洗濯・ごみ捨て・飯など協力してやって行かねばならない。とりあえず今日の晩飯はどこで食べようか。

午前11時。I氏がKご夫婦といらっしゃり、建替えのご相談を頂く。
午後2時より、鈴木孝紀氏が来る予定。ベイルートのコンペの相談。まだ、何もしていないに均しいが、出来るだろうか。







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家族旅行

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家族旅行まとめ;
ずっと晴天で暑い三日間。炎天下を歩き回っていたため途中熱中症になりそうな場面もあり。歩きながら飲んだペットボトルの数はかなり沢山。

12日/午前10時47分ののぞみにて新大阪へ。新阪急ホテルにチェックインした後、JRにて奈倉に向った。
いきなりの炎天下だったが、奈良町を歩く。
アーケードに入ったところでスコールのような夕立。治まるのを待って松田靖弘氏設計の「ならっぷ」を家族に見せに立ち寄る。かみさんは布で出来たブックカバーを買っていた。
もう4時を大分回っていたので、寺院には入れない時間。春日大社の参道を歩き奈良公園へ。午後7時より「なら燈花会」と言うのがあり(お盆の新しい行事だろう)芝生に置かれたコップ状のあかりに火が入ると言う。
思いがけず良いものを見る事が出来た。大阪に帰ろうと歩き出すと向こうから大勢の人たちが燈火を見ようと駅の方より歩いて来ていた。晩飯は、梅田のアーケードのなかの珍竹林という居酒屋にて。

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08/12/19:08 燈花会


13日/朝、JRにて近江八幡に向う。どうも帰省と重なったらしく車内は混雑。近江八幡に到着後、近江鉄道に乗ろうとホームに行くと八日市行きがすぐに出ると言う。1時間に2本しか無いので行き先も決めず飛び乗った。八日町に着くと3分後に米原行き?が出るが彦根まで止まらないとの事。これを逃すとまた数十分電車がなさそうなのでとりあえず乗り込んだ。

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08/13/12:04 近江鉄道

一人旅をした以来だから20年ぶりの彦根。インフォメーションで地図を貰い、城を見せようと歩き出す。日差しが強く暑かったが、湖から吹いて来る風は涼しい。
清楚な白い城に上り、ぐるりと見てから琵琶湖に向って歩いた。ペットボトルの水がすぐに無くなる。湖水を眺めてから駅まで戻ろうかとも思ったが、少々身体的に厳しくなってきたので乗船場にいたタクシーを捕まえて乗り込んだ。

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13:23 彦根城

昼食後、JRにて近江八幡に向う。午後4時近くに到着。駅の案内で地図をもらう。駅から旧市街までは単調な道が2キロ程。次のバスは25分後だと言うので歩く事にした。西日を浴びつつ旧市街の入口に着く。奇麗な町屋、擬洋風・洋風の建築などが残っているが、お盆のせいか閑散としている街を歩き、やがて八幡堀と言う運河に着く。

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16:55 八幡堀

この堀は琵琶湖につながり、つまりは京都や日本海に繋がっていたのだろう。堀の両岸には倉が並び石段で水面と結ばれ荷を出し入れしやすくなっていた。水路が重要な交通手段だったのだ。
よく地図を見ると近江八幡の隣り、琵琶湖とつながる西の湖のすぐ近くに織田信長の安土城がある!妄想が膨らむ。「信長の安土城は、環琵琶湖首都圏構想の手始めだったのではないか?!琵琶湖周囲を首都圏と考えれば、北に日本海、南に京都。経済の中心にふさわしく、また、東西日本の要衝の地でもある。豊臣秀次はその意を継いで近江八幡という商都を作ったのじゃないだろうか云々・・・。」
近江八幡5時26分の普通電車は流石に空いており、四人で座って大阪に戻った。本日もアーケード(阪急東通商店街)にて晩飯。美舟という古いお好み焼き屋の2階で汗をかきながら食べた。ホテルでは夜遅くまでオリンピック観戦。

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17:53


14日/晴天。今日は夕方には帰るので、大阪の町を少し歩こうと御堂筋線にて心斎橋に出た。心斎橋筋や御堂筋を難波に行こうと知ったかぶりをして歩きだしたが、間違えて反対に向かい本町まで来てしまったので、踵を返して銀杏並木の御堂筋を戻った。道頓堀を日本橋方向に歩き、堺筋線に乗って新世界の通天閣を見上げてからまた電車に乗り、梅田に帰った。
大阪駅に昼頃戻ると、号外が配られおり、手に取ると北島が200mでも連覇した事が大きな文字と写真で書かれていた。阪急17番街にてお茶をしたり、お土産を買ったりしてから帰路についた。

夜、葉巻のT氏よりメール。家で晩飯を食べてからグラに出掛ける。飲みながらいろいろ話しをしていたら終電を過ぎていたので、一緒に歩いて帰宅。








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