日曜日に床屋で聞いた話
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私は事務所の近くのKという床屋に行っているのだが、私の行った時間は客が居なかったので、髪を切ってもらいながらこの近所の話しなどした。
奥さんの祖父の代に横須賀の追浜で海軍の床屋を始めて、二代目は阿佐ケ谷の駅近くで開業し、三代目の現在は区役所近くに店を開いている。
(0)お爺さんが海軍の床屋になったのは外国に行けるからだったそうだ。
(1)中杉通りの北側が出来たのは数十年前で、その際、お寺の敷地を道路が貫くことになり、現在の世尊院の不思議な墓地ができた(また、あそこに歩道橋が設置されたのも両方の敷地をつなげるためだったのかも知れない)のだそうだ。それまでは、バスは隣りの細い商店街を通っていた。
(2)駅南の川端通りは、もともと半分が川でそれに沿った道が半分の通りだった。
(3)今は青梅街道で止まっている中杉通りは、南側に伸びて税務署(と阿佐ケ谷住宅?)の横を通り五日市街道まで伸びる計画があるので、青梅街道のパチンコ屋はビルにできないのだそうだ。
(4)杉並高校の向いにある弁財天のところから水を引いて、現在の区役所の下、床屋の南側の私道、今は緑道になっている暗渠のところを通って、田んぼに水を入れていたのだそうだ。あの緑道の川筋がパールセンター(アーケード)から急に現れるのが不思議で、パールセンターが川筋だったのでは?と考えたこともあったのだが、疑問が解けた。
(5)昔はパールセンターの途中辺りから東側は馬橋と言う地名だったので(最近は阿佐ケ谷◎丁目となったが)、昔の阿佐ケ谷村はこの辺りだったのだろう。
*写真は川端通り。写真左のコンクリートの建物の場所に、三十年前に東京に住んだ頃には「アルスノーヴァ」という小さな芝居小屋があった。
今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~
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