小川続き
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先日、街歩きの際に槻岡佑三子氏より写しをもらった、明治四十年の地図に書かれていた早稲田鶴巻町近辺の小川を地図に落としてみると、この様になった(上が北)。
以前、夕方の空想の日記で書いた「緑のライン」を流れてきた小川は、実は窪んでいる「緑印」の辺りからジグザグに北上し、西側の早稲田大学方面から流れてきた小川に合流して東に向かっていたのだ・・・。真っすぐ北上して神田川(地図上部)に流れ込んではいなかった(少なくともこの頃は)。
そして、さらに想像を掻き立てられるのは、元赤城神社(赤印)の位置である。何と、小川に囲まれている。
出社の際、このルートを歩いてみた。よく目を凝らして見ると、小川が流れていたと思われる辺りは、周囲よりほんの僅かだがアスファルトが窪んでいる気がした。
普段、道を歩きながら微妙な高低差など全く気にしないが、小さな形の変化がその場所の歴史を物語る指標になっている事もあるのかも知れないと感じた。
今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~
コメント
コメント一覧 (4)
下水道局HPの下水道台帳を見ましたが
早稲田通り~早大正門通りまでは
この青い線の流路が残っていました。
明治時代の早稲田田んぼが
あったころは用水路だったのでしょうか
用水の管理組合等もあったかもしれませんね
元赤木神社は川に囲まれていたとは、
これも3方向小川があって、大きいケヤキ
があるような田園風景が想像できますね。
早稲田小学校~早稲田通り間は
水路敷きの光景が石垣などに残っていて
素敵でしたよ
そろそろ私も、早稲田南町の丘の辺りの散策が必要ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/蟹川_(東京都)
私の通勤路の下を流れていた早稲田南町の方からの流れが合流し、さらに外苑東通り近辺を流れてきた「加二川」が加わって神田川に注いでいたのだろうか。それとも・・・。