2011年03月
仕事と歌と
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- 建築
晴れ。
昨日も晴れ。朝、大井方面実施設計途中の打合せ。設計図をもとに設備などの仕様の確認を中心に行った。
午後遅く、新宿にて他団とのジョイントの男声合唱の練習。その後、我が団の男声六人で歩いて千駄ヶ谷に向かう。中野区が節電に伴い区の施設の夜間貸出しを中止したため、臨時会場での練習がしばらく続くことになってしまった。
この度の大震災の心的影響は大きく、現在も不安を感じている団員も多いと思われ、何人が練習に来るか分からない状況だったが、蓋を開けてみると遠方からも含め二十人以上が集まった。会場が狭いせいか隣りの団員との距離も近く、久しぶりに仲間の顔を見ながらの練習は、一体感を感じるものだった。
本日午前、牛込方面に向かい地鎮祭。ここに至るまでいくつかの障害を建て主は乗り越えて来られた。これからは秋の完成に向けて、皆で楽しみながら作っていこうと思う。
午後、厚木方面にて二度目のプレゼンテーション。内容を気に入って下さりほっとした。
地鎮祭 11:24
今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~
地震
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- 日記
晴れ。
本日は一日事務所にての作業のつもりで、午後の仕事を始めていた。午後三時前、初期微動が来た。10秒ほど続いて少し大きな揺れになったので、こないだの地震の余震かな?と窓際の自席でのんびり構えていたら、急に大きな揺れとなった。
部屋の中央付近に行き、川上君と話していたが益々揺れる。小学生の時に体験した十勝沖地震を思い出す。
部屋中央の本棚が倒れそうになったので二人でどうにか支えていると、壁際の棚に乗せてある模型が次々と落ち、棚板がその上に落下していくつもの模型を壊した。書類も床に飛び散った。
揺れが落ち着いてから、二人で下に降りてみた。阿佐ヶ谷の街は我々の事務所ほどは揺れなかったようだ。商店街など歩いてみたが、いつもの感じだった。うちの事務所の入っているビルはとても古く細長いのと事務所が最上階にあるので、他よりかなり揺れたのだろう。
部屋に戻り、結構時間が掛かったが手分けして片づけた。本棚や机がいろいろな方向にずれているのはすぐには直せなかったので、本日はとりあえず書類と模型を元に戻して良しとした。
都内の電車が全て止まっていると言うので、歩いて帰ることにした。桃園川緑道を通り、高円寺、環七と過ぎ、バスやタクシー待ちで混雑する中野駅を北に抜け、打越天神商店街を通って、歩いて帰宅する方々とすれ違いながら家に着いた。一時間ちょっとだった(思っていたより近い)。
途中、ツィートしながら歩いた。電話は全く繋がらず、メールもスムーズでは無かったが、ツィッターは丈夫で、現在情報をフォロワーと交換し合うことが出来た。
家に戻ると息子二人が不安そうにしていた。かみさんはまだ病院で仕事をしているとの事だったので、息子達と東中野銀座に行き夕食を摂った。かみさんの分のマルゲリータをお土産にしてもらい帰宅。やがてかみさんも帰宅。
余震がずっと続いており、身体がいつも僅かに揺れているような感じがする。
写真は、地震の時間で止まっていたうちの壁掛け時計。
今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~
走り回る一日
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- 日記
昨日はばたばた走り回っていた。
朝、頂いていた情報に誤りがあるかも知れない事に気付く。設計が大分進んでいるのでどきりとしたが、多少の束縛条件が変わったとしても、建て主の要望や設計主旨を満たして行くにはやはり現在の空間構成が最善だと思われ、気持ちが落着いた。
午後、荏原方面現場。何人居るか数えなかったが多くの作業員が入って工事を進めていた。先週は建て主に来て頂いてかなりの部分を決定したのだが、今日の打合せにおいても細かな位置関係など、電気・空調関係で決めて行かなければならない事が多くあったので、1階から3階まで順に回った。建築においては、設計図書では解決されている事でも少し変えた方が良いと思われる事が、実際の空間に接して見えてくることもあるので、最終決定は現場にて行うしかない部分が意外と多いものなのだ。
予定より一時間半ほど長く現場に居たので、次に確認のために回った大井町方面の敷地に着いた時はとっくに日が沈んでいた。
暗い中での目視を終え、千駄ケ谷の家づくりの会に辿り着くと、既に理事会は終わりその後の勉強会に移っていた。
事務所に戻り、川上君と打合せなどしていたら深夜となってしまったので帰宅した。
走りまわっていた一日だった。
今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~