家族旅行
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朝、四人がそれぞれ三泊四日の荷物を持って東西線に乗り出掛ける。のぞみで4時間ほど。福山で下車し、山陽本線に乗り換えて尾道。
強い日射と高い気温にめげそうになったが、旅館の方に荷物だけ運んでもらい旧市街を歩き始める。少し坂道をぶらついてから旅館に行こうかと思っているところでお婆さんに声を掛けられた。千光寺公園に行くならこっちが近いとの事だったので、旅館の場所でもあるし、まずは高い場所から町を見渡すのも良いと思い階段を上った。だが、炎天下の最初の行動には少しきつく、かなりばてて公園に辿り着き、一息ついてから予約してあった近くの旅館に入った。ここで偶然夏休みの宿泊先が一緒になった義弟家族と会った。
夕食後、道は暗くなっていたが少し歩こうと出掛けた。帰りに迷わないようにと周囲の風景を覚えつつ歩き、ゆっくりと下りて行った。尾道水道の岸辺の階段に腰かけ海の匂いを嗅いだ。
08/25/18:54
26日/ 晴れ。
朝、駅のロッカーに荷物を入れ歩き始める。初めは寺巡りのコースを歩いていたが、少し外れて志賀直哉の旧居に寄ってみた。ここで、尾道の歴史や都市構造を詳しく教えて頂きとても参考になった。江差と同様、北前船はこの尾道を繁栄に導いたとの事。暗夜行路はここで書かれていた。その後、文学記念館の方でも林芙美子の放浪記の初版本と改訂版の内容の違いなど教えて頂き、初版本を読みたくなった。
08/26/10:30
強い日射と異常に高い外気温の下でばててしまうのを避けるため、細くくねる坂道を辿ってロープウェイ乗り場近くまで下り、ワッフルを食べながらお茶。その後、海岸通りの方に出て映画資料館へ。少し気温の落ち着いた夕方に行こうと思っていた浄土寺が「東京物語」や「ふたり」のロケ地でもある事を知った。お茶屋さん(今川玉香園茶舗)に寄って煎茶をご馳走になり、さて昼飯を食べようと思ったが木曜定休の店が多く、本通りのアーケードの店もほとんどが閉まっていたので、駅前で尾道ラーメンを食べ、ロッカーに入れてあった荷物を持ってホテルにチェックインした。08/26/13:08
ここでしばらく熱を冷ましてから、夕方五時頃から再び歩き始めた。アーケードを東に向って大分行ってから左に折れ、寺町の坂に入った。しばらく道を迷ったりしていたが、偶然見つけたタイルが埋められた道を辿って目的の道に出、浄土寺方向に向った。この寺は、尾道の旧市街の東端にあり、今はアーケードになっている江戸・明治と栄えた本通りと水道に沿った海岸通りの起点にもなっている事に気付いた。
この辺りで暗くなってきたので、晩飯を食べようと店を探しつつ歩き、海岸通りのピッツェリアに入った。
朝、ホームから登校する高校生の様子を見ながら電車を待ち、8時17分の下関行きに乗り岩国に向った。普通列車なのでいろんな方が乗り降りしていたが、広島で乗客がかなり入れ替わった。岩国駅のロッカーに荷物を入れ、市営バスに乗り込んで錦帯橋に向う。
23年前、レーモンド事務所を退社した後、一年程の間建築を見て回っていたが、尾道や岩国はその時もやはり夏の終わりに訪ねた。錦帯橋もそれ以来だ。今回は、橋の近くの以前かみさんの祖母が住んでいた家の辺りも歩いてみた。
夕方、電車に乗り宮島口まで戻り、フェリーに乗り換えて宮島に向った。旅館で一休みしてから歩いて厳島神社に詣でた。丁度干潮で、鳥居も足元までむき出しになっていた。
08/27/13:31
28日/ 晴れ。
朝、チェックアウト前に再度厳島神社に行った。まだ満潮には至っていなかったが、社の足元まで海水が来ており昨日とは異なる風情であった。23年前に見たときよりその美しさが際立って感じられた。
08/28/08:52
昼前、広島到着。私は何となく腰が引けていたのだが、かみさんが子供たちに見せたいと言うので、平和記念公園に向った。
丹下健三の平和記念資料館の南側に回り、設計趣旨に従ってピロティを潜ってから入館した。原爆の非人間的凄まじさを示す展示を見たのち、原爆死没者慰霊碑から原爆ドームを見つつ合掌。その後、義父の実家があったという爆心地から六百メートルほどの辺りを四人で歩いてみた。昼前、広島到着。私は何となく腰が引けていたのだが、かみさんが子供たちに見せたいと言うので、平和記念公園に向った。
建築的な事を少し書けば、平和記念館本館と原爆ドームを結ぶ軸線上に作られた清楚なモニュメントの形を壊すように新館が本館と2階の渡り廊下で繋がれていた。折角の施設のかたちを壊す増築は頂けない。
路面電車に乗り八丁堀で下りて、お好み焼き屋に入り昼飯。駅に到着すると間もなく新幹線に乗り込む時刻となった。
車内で弁当を食べ、東京に着くと七時半。合唱団の練習に少し出られそうだったので、そのまま中野に向った。
今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~