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2006年02月

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27日/曇りときたま晴れ間。

午後、東横線に乗り都立大学へ。この駅で下車する事は時たまあるのだが、敷地を見に来たのは初めてじゃないかな? 帰り道、駅の近くのカフェ・ラミルに寄り、思いつきの案を少し書いてみる。
夜、Tさんと神楽坂にて肩に力を入れずに話す。彼女と飲むのは何ヶ月ぶりだろう。


28日/曇り(のち雨になる模様)

朝、天気の予報が変わり、下り坂。本日予定していた写真撮影を急きょ中止。
7時過ぎに家を出て、秦野方面に向かった。現場はまだ細かな機具の取り付けや建具の調整の最中。これでは今日晴れても撮れなかったかな。一通り見て幾つかの指示。今日から2~3日は雨や曇りらしいので、写真撮影は引越しぎりぎりの3日となった。

夜中、明日見積もりに出す図面が、まだ出来てない。しかも青焼き機の調子が悪い。名執と竹中を置いて、一足先に事務所を出る。帰宅途中、横断歩道にて左折してきた乗用車に轢かれそうになって思わず飛び退く。

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雨。

昼、事務所に行き経理など。しばらくすると名執が出てきた。
3時過ぎ、上さんに電話して新宿で待ち合わせることにする。

京王プラザ2階の樹林が混んでいたので3階でコーヒーを飲む。目の前のフロントは、地方や外国からの旅行客や披露宴後の客で賑わっている。店の中も旅行者が多いのだろうか、東京では無いような雰囲気のラウンジだった。コーヒーの旨いホテルは意外と少ないものの様だ。

見学~委員会

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曇りときどき晴れ。

夕方、神泉に鈴木孝紀氏の共同住宅を見に行く。建築とインテリアが一体となった、ほとんどがコンクリートで作られた(造形された)空間だった。まとまりのある適度な大きさの建築となっていた。

孝紀さんは、その後の会合に(割と)強く誘ってくれたのだが、合唱の練習の後に昨年の演奏会の話合いを持つ約束をしてしまっていたので、残念ながらお断りしてしまった。近々、意見交換を兼ねて飲みたいものだ。

前田光一氏、川畑博哉氏と共に移動。やはり少しは話したいと思い直して一緒に小さなドイツ料理屋に入ってはみたものの、飲み物はビールしかないとの事だったので(このまま居ては<絶対に>合唱には行かない事になると思われたので)、後ろ髪を引かれながら退散した。

中野のフェニックスに寄ってから練習に参加。その後の話し合いでは、各班長のまとめを聞きながら、定期演奏会の実行委員長として殆ど何もしなかったことを少々申し訳なく思った。樽やの後、ひとりでグラに寄り、Port Ellen(1978)、でかりら、Black Bottleを飲んだ。

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17:05

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曇り後小雨。

朝、少し早めに出て上野からフレッシュひたち13号に乗り、土浦に向かう。特急に乗ると、気分が日常を離れて楽しい。景色を眺めながら10時17分着(何といつも事務所に出ている頃に土浦に着いてしまった)。
市役所で、敷地の簡単な調査をする。所内の雰囲気が少しのんびりとした感じで良い(こちらは普通に喋っていたつもりだったが、先方にはせわしなく感じた様だ)。
その後、桜川近くの敷地を見、町をぶらぶらと歩きながら駅に戻った。

夜、事務所にて面談。2時間程話し込んでしまった。
その後、大久保の「かんちゃん」に数年ぶりに行き、K&Y+Sa+Ok+Kaの飲み会に合流。まぁ、楽しかった。
T氏がグラに居ると言うので立ち寄り、レコメの話し等する。Kも来てくれてしばらく飲む。深夜、T氏と「味七」で味噌ラーメンを食べてから歩いて帰宅(旨かったが翌日まで腹にもたれている)。

お返事

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晴れ。少し春の香りもしてきた様な。

大島健二氏の2006年2月21日の日記(K-2)で、TPOレコメの提案についての私宛の“お手紙”を頂いたので、お返事書こうかなー。

今回のコンペは、簡単に言えば、「京王井の頭線沿いの950m2ほどの敷地に、一戸当り30~50m2程の、賃貸の集合住宅を提案せよ。一等案は事業化される。」というものでした。

△ 以下、お返事 △

・・・うーん、どちらかと言えば、普通にやると「個体タイプ」に近い形体になると思うのです。まぁ、どっちが普通かなんてどうでも良いのだろうけど。

今回の、電車の騒音をともなう敷地は、建蔽率40/容積率80、第一種低層住居専用地域(第一種高度地区)で、日影制限が2時間/3時間です。後、予定細街路(細街路内は階数・構造の制限あり)が敷地内を斜めに通ってます。

私の場合は、まずは(普通に)3階まで建てる案を検討してみました。案を作って日影図を書いても(日影制限が厳しいので)容積を満たそうとすると1~3層のヴォリュームが出て来て思った程すっきりと建たない。私は面倒くさがり屋なのでその辺りで離脱しましたが、それをどう咀嚼しようかと言うところ辺りから、ADHや阿部さんの「個体タイプ」の回答が出て来たのだろうと想像しています。

2階建てにして敷地を一杯に利用すれば、もう少し自由に案を作る事ができると言う発想は、私の場合は日影図を書いた後のものです。どうせ低層なら、2階建ての方が各戸の住環境を良くできるし、敷地の条件(この場合は日影制限)による形体の制限を受けることなく案を作りやすい。
その後、建築が40%しか地表を覆う事のできない条件のもと「空地」をどう扱おうと考えたかで、若松案と難波案の分かれ道があったのだろうと想像しておりました。

私の案は、彼等と近いアプローチなんだけど、予定細街路と言う都市計画決定はされているが事業化の見込みのあまり無い道路の「ライン」をデザインに取り入れる事にこだわったところが異なります。敷地にナナメに入ってくる8m幅のラインを建築のデザインに影響を与える敷地の特徴(敷地に付属している性格)と捉え、そこを空地(竹林)とした提案としました。

まぁ、それで、全体として建築の形が「三角ケーキ」のようになってしまったのだけど、その方が潔い気がして、その中に「住宅作家の腕力」で魅力的な各戸を作れば良いだろうと考えたのです。
結果として、非常に似た考え方ではあるけれど、敷地全体を使った若松案の方がのびやかな提案になったのだと思われました。

・・・返事を書いていて気付いたのだけど、提案者それぞれが、自分がより自由に振る舞える場をどうやって確保しようかと考え、異なる舞台設定を作って行ったのだと言う気がしています。当然の事なのかも知れないけれど。

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21:26

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