2009年10月
2009年10月31日
晴れ。
午前、音源の整理。サヲリのメンバーに送る。年末のライブに向け、そろそろ気持ちを入れて行かねばなりませぬ。
午後、木場方面施主打合せ。事務所を見て頂く。これまでの住宅の模型などお見せして、ご要望をお聞きした。設計契約の内容も決めた。楽しい打合せだった。
追伸;
夜、ふきのとうの飲み会の後、電話をする。関西から建築家が大挙押し寄せているので、二次会の飯田橋にでも顔を出そうかと思っての事だったのだが、どうもうまく電波がつながらない・・・。
その後しばらくして、着信記録が残っていたらしく折り返しの電話が来て中野で飲もうと言う事になった。関西の方々とでは無く、山本誠一郎氏、泉幸甫氏、十文字豊氏とのグラビティにての飲酒であった(彼らにとっては三次会なのかな)。
午前、音源の整理。サヲリのメンバーに送る。年末のライブに向け、そろそろ気持ちを入れて行かねばなりませぬ。
午後、木場方面施主打合せ。事務所を見て頂く。これまでの住宅の模型などお見せして、ご要望をお聞きした。設計契約の内容も決めた。楽しい打合せだった。
追伸;
夜、ふきのとうの飲み会の後、電話をする。関西から建築家が大挙押し寄せているので、二次会の飯田橋にでも顔を出そうかと思っての事だったのだが、どうもうまく電波がつながらない・・・。
その後しばらくして、着信記録が残っていたらしく折り返しの電話が来て中野で飲もうと言う事になった。関西の方々とでは無く、山本誠一郎氏、泉幸甫氏、十文字豊氏とのグラビティにての飲酒であった(彼らにとっては三次会なのかな)。
今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~
2009年10月28日
晴れ。
こんなことを書くと仕事をしていないのでは無いかと怒られそうだが、一泊で越後湯沢に行ってきた。
「ゴーストノーツ」というロックバンドの合宿に参加してきたのだ。年末12月20日のライブでは我々「サヲリ」もステージを持つが、同日のゴーストノーツのステージにもコーラスで1・2曲加わる予定なので、ちょっと刺激を受けて来ても良いかなと思った訳だ。
さて、バックコーラスを二年ぶりにやってみて、以前と同様の状態にまずは陥った。ヴォーカル・ギター・パーカッション・ドラム・ベース・キーボードの作り出す大音量の中で自分の声がほとんど聞こえず、異種の楽器の様々の音色が溢れる中で混乱し、結果正しい音程で歌えない。
普段は、ピアノだけの伴奏か静寂の中で、つまりとても歌いやすい環境を作りだしてその中で他の歌のパートと確認し合いながら、歌を形作っていくことだけに意を注げば良いのだが、バンドでコーラスをすると言うのはそれとは全く違うことなのだ。
ケンシロウが海を渡って入り込んだ異境では、ラオウを倒した程の秘奥儀が全く通用しないという経験をするのだが(北斗の拳)、合唱人間がロックバンドで歌う際にまず感じるのはそんな気持ちである。・・・ただ今回の合宿ではそのまま打ちひしがれて終わったわけでは無かった。
極言すれば、バックコーラスは、コードの感覚があってアドリブが得意であれば、特に楽譜を必要としない分野なのかも知れない。そういった音楽的才能(音楽的運動神経)の無い者としては、楽譜を読んだり演奏中に参考になる楽器の音を見つけ出したりなどの作業が必要になるのだが、これは我々の普段やっている事の延長線上である。つまり、異境の国に入っても、細い糸を辿って行けば基本的なことは通じる様なのだ。
もう一つ。彼らの音楽(歌)には、我々の方法ではなかなか突き破れない領域を、いとも簡単に越えているような歯切れの良さ(表現的説得力)があると感じた。だが多分そこには、様々の強い音色の楽器が形作る饒舌性がそのように見せている側面もあるのだろうとも思った。
我々がいつもやっている、人間の声(+ピアノ)だけを聞き合い、優しく関係性を構築していく方法は地味なものだが、自分の手に負える要素だけに絞り込んで歌を作っていこうとしている分、求める深い表現には意外に近道なのではないかと想像したりもした。無論、我々の実力では遥かに彼方の話なのだけど。
先日のこんにゃく座でも感じたことだが、似ていて少し違う音楽に触れるのは刺激的である。

10/27/14:30
こんなことを書くと仕事をしていないのでは無いかと怒られそうだが、一泊で越後湯沢に行ってきた。
「ゴーストノーツ」というロックバンドの合宿に参加してきたのだ。年末12月20日のライブでは我々「サヲリ」もステージを持つが、同日のゴーストノーツのステージにもコーラスで1・2曲加わる予定なので、ちょっと刺激を受けて来ても良いかなと思った訳だ。
さて、バックコーラスを二年ぶりにやってみて、以前と同様の状態にまずは陥った。ヴォーカル・ギター・パーカッション・ドラム・ベース・キーボードの作り出す大音量の中で自分の声がほとんど聞こえず、異種の楽器の様々の音色が溢れる中で混乱し、結果正しい音程で歌えない。
普段は、ピアノだけの伴奏か静寂の中で、つまりとても歌いやすい環境を作りだしてその中で他の歌のパートと確認し合いながら、歌を形作っていくことだけに意を注げば良いのだが、バンドでコーラスをすると言うのはそれとは全く違うことなのだ。
ケンシロウが海を渡って入り込んだ異境では、ラオウを倒した程の秘奥儀が全く通用しないという経験をするのだが(北斗の拳)、合唱人間がロックバンドで歌う際にまず感じるのはそんな気持ちである。・・・ただ今回の合宿ではそのまま打ちひしがれて終わったわけでは無かった。
極言すれば、バックコーラスは、コードの感覚があってアドリブが得意であれば、特に楽譜を必要としない分野なのかも知れない。そういった音楽的才能(音楽的運動神経)の無い者としては、楽譜を読んだり演奏中に参考になる楽器の音を見つけ出したりなどの作業が必要になるのだが、これは我々の普段やっている事の延長線上である。つまり、異境の国に入っても、細い糸を辿って行けば基本的なことは通じる様なのだ。
もう一つ。彼らの音楽(歌)には、我々の方法ではなかなか突き破れない領域を、いとも簡単に越えているような歯切れの良さ(表現的説得力)があると感じた。だが多分そこには、様々の強い音色の楽器が形作る饒舌性がそのように見せている側面もあるのだろうとも思った。
我々がいつもやっている、人間の声(+ピアノ)だけを聞き合い、優しく関係性を構築していく方法は地味なものだが、自分の手に負える要素だけに絞り込んで歌を作っていこうとしている分、求める深い表現には意外に近道なのではないかと想像したりもした。無論、我々の実力では遥かに彼方の話なのだけど。
先日のこんにゃく座でも感じたことだが、似ていて少し違う音楽に触れるのは刺激的である。

今日の事務所 ~荒木毅建築事務所の 日々の覚書 ~